2014年1月29日水曜日

やっぱりMAVは大きかった。マーベリクスインビテーショナル

reference: http://www.surfermag.com


 デカイ波に乗るって究極の選択であります。
サーファーの世界は理屈ではない男の世界。これは万国共通で上手い奴が一番!
それにはなんも言えねえ!さらにデカイ波に乗っちゃう奴には完璧になんも言えねえ!

 
 そんななんも言えねえ奴らが集ってデカイ波を競い合うっていうんだからマーベリクスインビテーショナルは凄い試合なんです。でもライブ中継だけ観ていても実感が湧かなかった人も多いかもしれません。じつは僕もその一人、サイズもマックスを超えているわけでもなし、セットの間隔も長い。早朝で日本のファンはボーっとして観ていただろうし…

 というわけで撮影された写真をサーファー誌から拝借して掲載しました。写真はヤッパ凄いね。


このスケールはまだ経験ありません。ヤッパリ大きかったね!


ハワイアンがガンを持つときはソートー大きいときです。
彼らはなかなかガンを使おうとしません。プライドです。
ハワイ島のシェーン・ドリアンのドロップ。


コルテツで死にかけたグレック・ロングもファイナル進出です。
彼のコルテツでの手記は当ブログに掲載させていただきました。
興味のある方は是非!




この波で試合ツーノもどうよ〜って感じではあります。
みなさん無事でお疲れさまでした。







 

マーベリクスのファイナルまだ動画で観れますよ〜

 移動のために予選までしか観れなかったマーベリクスインビテーショナルですが、
HPでまだ公開中でした。お見逃しの方はぜひどうぞ!

http://mavericksinvitational.com


 セミファイナルから観れますが、ヒート時間も長いのでファイナルまでけっこう時間が掛かります。ビール片手にじっくりいかがでしょう。
 

ケリーが引退?!!!次の目標はなんとボディボード!

 真偽のほどはまだ確かではないが、SURFERTODAY のサイトの発表によると、ケリー・スレーターが来年(2015?)にはWCTを引退して、ビックウェーブボディボードイングツアーに参加すると表明した。The Big Wave Bodyboarding Tour



「ボディボードのツアーに参加するのは二つの理由がある。一つは私の年齢だ、新しい世代と対等に戦うのは難しくなったこと。もう一つは高次元のレベルでまだ試合で戦いたいという気持ちがあることだ。それがサーフボードである必要は無い、ボディボードで垂直の壁をドロップすることは素晴らしい挑戦だと感じている」

 (中略)



 「私は深い尊敬をボディボードとボディーボーダーに抱いている。マイク・スチュワートはマスターだ。素晴らしいウォーターマンたちとプローンスタイルでバレルに入ることに違和感は無いよ」

 ケリーはまたビックウェーブ用のボディボードの開発も計画しているという、そのロゴはフロリダの州旗が用いられる予定。



http://www.surfertoday.com/surfing/8666-kelly-slater-will-pursue-a-big-wave-bodyboarding-career#.UtVbgDx2WQg.facebook

2014年1月24日金曜日

マーベリクス勝つのは誰だろう?


さて、今日の01:30amにライブが始まるのかな?たぶん、計算が合っていれば。
出場選手のリストを下記に掲載しました。強者ばかりで誰が勝っても不思議じゃないけど、気になる選手をご紹介します。

ショーン・ダラー
 あまり馴染みの無い名前かもしれませんが、CAのビッグウェーブポイントではかなり注目浴びています。マーベリクスやコルテツでもレコードクラスの波をサーフしてます。ダークホースとして虎視眈々とチャンスをうかがっているでしょう。



シェーン・ドリアン
 そろそろ彼が表彰台に立つんじゃあないの?という期待感ではダントツでしょうね。
ジョーズでのバレルライドはやばかった。おそらくボードが調子良いのでしょう。もともとテクニックのあるサーファーですから、ジョーズでのラフなフェイスを十分に経験していることも加味すると、その真価を発揮する可能性は高い。
あとは勝利の女神が微笑むかどうかだと思います。
 応援してる人も多いですよ。
 


グレッグ・ロング
 ビッグウェーバーのなかでも飛び抜けた才能を開花させたグレッグ。昨年コルテツで生死をさまよう事故を経験したにも関わらず、数日後にこの試合に出場し3位に入り、関係者を驚かせた。しかし最近発表された手記には事故のトラウマと戦う彼の人間性溢れる人となりを知ることができ、多くの人にシンパシーを感じさせた。大きな壁を乗り越えて彼がどうビックウェーブと向き合うか注目したい。

 全員が優勝候補といえる招待試合ですからね。どういう結果になるか楽しみです。若いイケイケが勝つか、ナリッジを生かしたベテランが勝つか判らないです。ただこの波はグーフィーフッターは若干ハンデがあるでしょうね。レフトあるんですがライトに比べて短いんです。バックサイドという点を除けばマーク・ヒーリーやコーリ・クリステンセンなんかもチャンスありです。またケリー・スレーターが補欠でリストされてますから、出場したらなんか凄いことやってくれそうです。



2013-14 COMPETITORS

Ryan Augenstein (Santa Cruz, CA)
Grant Baker (South Africa)
Chris Bertish (South Africa)
Carlos Burle (Brazil)
Kohl Christensen (Hawaii)
Ken Collins (Santa Cruz, CA)
Shawn Dollar (Santa Cruz, CA)
Shane Dorian (Hawaii)
Colin Dwyer (Pacifica, CA)
Nathan Fletcher (San Clemente, CA)
Tyler Fox (Aptos, CA)
Mark Healey (Hawaii)
Nic Lamb (Santa Cruz, CA)
Greg Long (San Clemente, CA)
Rusty Long (San Clemente, CA)
Alex Martins (Brazil)
Peter Mel (Santa Cruz, CA)
Ryan Seelbach (San Francisco, CA)
Jamie Sterling (Hawaii)
Anthony Tashnick (Santa Cruz, CA)
Grant Washburn (San Francisco, CA)
Dave Wassell (Hawaii)
Ben Wilkinson (Australia)
Zach Wormhoudt (Santa Cruz, CA)

2013-14 ALTERNATES:
1. Shane Desmond (Santa Cruz, CA)
2. Danilo Couto (Brazil)
3. Derek Dunfee (San Diego, CA)
4. Kelly Slater (Cocoa Beach, FL)
5. Tyler Smith (Santa Cruz, CA)
6. Frank Solomon (South Africa)

2014年1月23日木曜日

マーベリクスの波予想、そしてジェフ・クラーク氏

 エディは延期だけどマーベリクスはやるんですね。
 このマーベリクスと呼ばれるピラーポイントを開拓したパイオニア、ジェフ・クラークがコンテストディレクターを務めています。
 この人は凄い人です。
Jeff Clark 

 まだここでサーフするなんて考えもしなかった時代。
 ジェフは17才のときに初めてパドルアウト
 それから15年に渡りたった一人でサーフ!
 マーベリクスでたった一人でサーフしていた!しかも15年間!

 しかも彼はグーフィーフットだったために
最初レフトだけをサーフしていたのですが、
ライトもサーフしたくなり、そのためにスタンスをスイッチ!
 サーフィンを一から練習し直して
 ライトにチャージしたという伝説があります。
 
 (ちなみにバンクライト氏の有名なガイドブックSurfing Californiaによると
ピラーポイントはハーフムーンベイハーバーから1マイル沖、サーフィンには
危険過ぎるから見物が良い、と記されています)

Jeff・Clark


そのクラーク氏が今回Go!の決定を下しました。



  当日の予想です。これは波高ではなくピリオドと呼ぶウネリの周期を時間で表した表です。20秒以上なのでレッドゾーン振り切ってます。サンタバーバラより北はこのエネルギーをダイレクトに受けるでしょう。南のリンコンは少しブラインドになるのでサイズは落ちます。アタマくらいかなって思ったけど周期が長いウネリだからもっと大きいかもしれません。トドスサントスとかもデカイよ〜、ソウル系はバハに向って爆走中だな〜
 タヒチのノースサイドも良いでしょう!





 風もややサイドオフ?かな?ストレート?風が合ってないという情報もありますが、これを見るかぎりは大丈夫な感じですね。

 波高(下)だけだとそんなに〜波上がんのって感じなんですが、深い海を通過するスウェルは高さがあまりワカラニャイ、だから周期の長さで波の大きさを予測します。たぶん船で浮かんでいると、ソートーゆっくり浮いたり沈んだりって感じでしょうね。


クラーク氏、SUPでもチャージ!

さて、コンテストどうでしょうね。
地元でないので波予想はこの程度しか判りませんが、
マーベリクスを誰よりも知るジェフ・クラークが
決定したのですから凄い波がブレイクすることでしょう。
選手の健闘と無事を祈ります。





カレンファン必見です。メキシコメインランドでの映像

まだ新しい映像です。
リンコンのような波でトムカレンがサーフしてます。
田舎の床屋で髭も剃ります。なんか受ける。


http://www.youtube.com/watch?v=f1EDiBHWyjAhttp://www.youtube.com/watch?v=f1EDiBHWyjA

マーベリクスインビテーショナル開催決定!





2014年1月22日

1月24日金曜日に開催との発表がされた。

 ボディグローブマーベリクスインビテーショナル、協賛ゴープロのコンテストオーガナイザーは世界最高のビッグウェーブコンテストが1/24/2014にハーフムーンベイのピラーポイントにて確実に開催されると発表。



 予想されるスウェルは最大で40フィートで世界のビッグウェーブサーファーが生死を掛けてこの舞台に挑むことになる。試合のスタートはパシフィック時間で8:00am

 「海上の気象状態で開催の公式発表は今日まで延期されてきた」とコンテスト・ディレクターのジェフ・クラークは語った。「巨大なスウェルと南風が心配だった。選手だけでなく沖に浮かぶボートも危険にさらすためだ」


 またマーベリクスインビテーショナルのオーガナイザーは観客のためにマーベリクス観戦フェスティバルも開催する。7:30am会場、場所はオーシャノホテル&スパにて。

 当日は環境保全と保安のためにピラーポイントに続く道は全て規制される。その代わりにフェスティバルでは巨大HDスクリーンと音楽、食事やショーそしてコンテストの表彰式も行なわれます。観戦のための駐車場はハーフムーンベイの駐車場で、そこからフェスティバル会場へは徒歩で移動。駐車代は地元の青少年クラブへの寄付となります。

 この試合の決勝戦は開催以来初めてユニバーサルスポーツネットワークにて放送されます。(後略、中継するケーブルネットの詳細)
 
 コンテスト全ての生中継は universalsports.com か mavericksinvitational.com
 にてストリームライブします。
 
 ということはライブ中継は日本時間で土曜日の午前1:30スタートかな?


 





 

2014年1月21日火曜日

ジェリー・ロペス氏へのインタビューです。テーマはボルトのロゴについて


reference:





ボルトのロゴについてトリビアあれこれと、ジェリー・ロペスへのインタビュー

マット・ワルショー

翻訳、李リョウ



 1969年、ロペスとライトニングボルトの共同創立者ジャック・シプレーはホノルルにあるサーフラインハワイのショールームで働いていた。ロペスはまたハンセンサーフボードにも乗っていた。1969年後半にハンセンはダイヤモンドテール「ロペスシリーズ(ボルトのロゴ無し)」を発表。数ヶ月後、ハンセンは風変わりな中空のモールドボード、「ストラトジアス」を発表しそのなかにはザライトニングボルトモデルがあった。その広告のコピーは「宇宙的、希少な喜び(かな?)」ロペスによるシェープ。(写真中央)同時期にロペスはハンセンとはべつに彼自身によるライトニングボルトレーベルのボードを使っていた。(写真左)
 ちょっと待って、じつはウェーバーサーフボードも1970年にザ・ピッグモデルを発表しマイク・タベリングがセバスチャン・インレットでリップする写真を広告で使用したが、そこにも黄色いボルトがデッキに描かれてあった。(写真右)

 ハンセンがたぶん誰よりも先にボルトをサーフボードに描いたのだろう。ウェーバー(それともタベリング本人だけが)はかなり初期にそのマークを使用した。でなにが言いたいのかっていうことだけど、君がサーフトリビア(米国流サーフィンオタク)でなければどうでもいい話しではあるけれどね。


 (ほんの少し中略)

Eメールによるマット・ワルショーからジェリー・ロペスへのショートインタビュー



 あの風変わりなハンセンのモールドボードは憶えている?


 あのモールドボードは本当に素晴らしかったんだよ、当時としては革新的だけど、完璧じゃあなかった。二枚貝のような型で作るんだが、接着が未熟で水が入って沈んでしまったんだ。


シプレーと始めたのはいつ?



The Lightning Bolt Unlimited, Surfboards Inc は1970年の夏にカピオラニ・ブルーバードにあったホビーの古い店で始めたんだ。


ボルトのロゴはどう生まれたの?


電話中にする落書きなんだよ。私は今でもするんだよ、ボルトの小さなロゴを電話中に描くんだ。

ライスペーパーで印刷されたラベルに対抗して。ライトニングボルトのマークは全てレジンで描かれたの?


ボルトのマークはピンラインを引くように同じやり方で描かれた。サンディングの後、ポリッシュの前だね。定型のボルトのロゴは無かった。その結果、美しくて人目を引きバリエーションが増えた。シャドーボルトやレイルボルト、カットラインボルト等

他のボードメーカーがボルトのロゴをコピーし始めて、あなた達はサーファー誌に大きな広告を出して警告したよね。

コピーが広く出回ってしまって、弁護士が商標を積極的に主張しないとパブリックドメインとなって権利が失効してしまうというから広告を出したんだよ。

ボルトのボードは本当に美しかったね。とくに初期の頃は。

私も含めて多くの人がそう思っている。ボルトのロゴが効果的なんだよ。そのうち、シプレーと私とでライトニングボルトの真実のストーリーを語ろうと思っている。だから

いまのところ、それは二重のトップシークレットなんだ。

2014年1月20日月曜日

シングルフィンフィーバーは鮫やらズ…

Mar 2014

The point of view
by Ri Ryo

Eric Geiselman's Kraft Single

シングルフィンってそんなに面白いかなあ〜と思うけど、まだ流行っているみたいです。今回の米サーフィン誌にも記事が載りました。
photo: Jimmicane

 筆者がバテンスの死を知り、追悼も込めてカリブのトリップにシングルフィンのボードを作って持っていった。その旅でトライフィンが壊れ、代わりにシングルフィンを試してみたらその楽しさに夢中になってしまった。シングルフィンサーフボードはフォームの修正にも役立つし下半身の使い方の練習にもなるツーてますね。一枚フィンだからフィンの位置を変更すると性格が変わるからそれも面白いそうです。たしかにそれはいえますね。レイトテイクオフは難しいと語ってます。フィンはFCSのネジでその位置を修正できるって書いてますが、そんな商品が出たのかな。

photo: Jimmicane

 でもどうよ〜って感じがしないでもない。ちょっと広告の匂いもするし〜笑。フィンじゃなくてサーフボードの浮力でサーフィンが楽しくなるんじゃない?レトロツインなんかもやっぱり浮力があってテールも広いから、テイクオフが早くてそれが楽しさにつながったんだよねえ 。

 でも、シングルフィンの抜けの良さはあるよね。サイドフィンは抵抗でもあってそれが安定性を生んでもいるんだけど、つまり車のエアスポイラーと同じツーわけだ。空力特性がいくら良くても風を受けている以上抵抗は生じている。だがシングルフィンにはそれが無い。無いから不安定、不安定だからごまかせない、ごまかせないってことは正しいフォームが要求される。難しいから努力する、それが楽しい。つまりシングルフィンはトライフィンで育ったサーファーたちには新しい乗り物なんですね。

 流行ってるって耳にすると〜乗りたくなるんだなあ〜笑

 了
 

 

 
 




2014年1月15日水曜日

さあウォーターショットに挑戦!

photo by Ri Ryo at  Zushi



 デジタル&Go-proの誕生で、水中ショットの世界が変わりました。誰でもウォーターショットが楽しめるのは良いことですね。サーファーならディープなポジションを攻めてる自分のショットが欲しいものです。フィルムの時代からフォトグは良い写真を撮りたいという熱意から、海に入ってサーフィンを撮るようになりました。海の中といっても最初は遠くからでしたが、いまではサーファーに手が届くほどに接近して撮るのが常識になってます。フィッシュアイレンズでチューブに入って…なんてフツーの時代になってしまいました。フィルムの時代は36枚撮ったらフィルム交換のために岸に上がらなけらばなかったのに、いまでは1000枚くらいシャッターが切れるんだから…ヤバイ。ハウジングだって高性能でほとんどメンテフリーですから、簡単にスイチューが撮れる時代です。ということでとりあえず、ハウジングメーカーをご紹介しましょう。


Katu Kwaminami  by Ri Ryo

 サーフフォトグから見た各社の製品について、良いとこ悪いとこをお話しましょう。

 ウォーターハウジングハワイ
 
ノースショアーのププケアの丘の上で、リアルプロ専門にハウジングを作っているブランド。オーナーはタローという名で昔は彼ぐらいしか作ってくれる人がいなかった。全て受注生産です。クラークリトルも使ってます。彼はどんなカメラでもハウジングを作れますからハリウッドの仕事も受けることがあります。ハワイアンなので音信不通は常識だし、注文してやるという態度だと相手にされませんのでご注意。
 





 デール・コベッチ

 CAに住むマエストロ、その道ではかなり有名です。写真家としても非凡で、トレンドの数歩先を行っています。サーフィン用ハウジングの様々なアイデアは彼が生み出したとアート・ブルーワー氏が語っていました。
 彼の最近の作品がこれ!
photo by Dale Kobetich



リキッドアイ


 岩のように頑丈で羽のように軽いというキャッチコピーです。ストロボをビルトインできるモデルもありますね。一体型は頑丈です。波がヒットしてもこれなら大丈夫でしょう。
 使ったことないので〜と思ったら鴨川に住むDave Yamaya がデイストリビューションを
始めたようで、彼の説明によると色々なカメラが適合するという画期的な製品のようです。つまり今までのハウジングは一つのモデルにしか合わなかったので、カメラを変えるとハウジングも買い替える必要がありました。でもこのメーカーのはその必要が無い!
興味のあるかたは牡蠣までどうぞ〜

Dave Yamaya のコメントです。ズームコントロールもボディ側にあるからポートの価格も安いと言ってます。


this housing can use many different cameras. just have to change the base plate on 

the inside under the camera body and the clear backing to match your camera. 

also, zoom control is on the body, not the lens port, so cheaper to get new lens 

ports.







アクアテック

 サーフハウジングでは大手の一つ。僕もフィルムの時代からこのハウジング使ってます。ここのハウジングはバックロードといってハウジングの後側からカメラの出し入れを行います。また四点式のバックルになってからはかなり便利になった。動画切り替えスイッチも付いている。さらに個性あるアイデアも多い、たとえばピストル型のスイッチは防水性が高く水漏れの心配は無用です。レンズポートの種類も多くほぼどんなレンズも合うけど、ちょっと会社が大きくなりすぎてそれゆえのサポート体制が緩慢になっているなあという印象は否めない。水中じゃなくて防音ハウジングなんかも製品化させています。




http://aquatech.net


ジリオン

 日本のメーカーで、アクリルを使ったハウジングで有名です。日本人フォトグで使っている人も多い。元々はダイビング用のハウジングを作っています。ただし高品質で頑丈ですが重い、またグリップ等もユーザーフレンドリーとは言いがたいかなあ、もう少しここをこうすればと思うところありますね。ガラス製のレンズポートもありますね。










SPL

使ったことないから判らないけど、アメリカではそこそこ人気あるみたい。ユースキー
もこれ使っていたよね。16mmボレックス用のハウジングも出してます。











 さていろいろ登場して迷うところです。ただし最近のカメラはモデルチェンジが早く
それに合わせてハウジングも変更しなくてはならないという欠点があります。ですから
購入のときはその点をよく考えることが必要です。つまり古いカメラに合わせるのではなくカメラを新しく買い替えてからハウジングの購入を検討したほうが良いかもしれません。またメーカーによっては中古品を販売しているところもあります。
 カメラのハウジングって不思議な魅力があり使わなくても欲しくなります。まるでモデルガンのようです。でも使ってナンボのハウジングなのでよく考えて購入しましょうね。
 またサーフィンできない人はまずサーフィンからスタートしましょう。海をナメタラあかん!

 






2014年1月9日木曜日

グレッグ・ロングがコルテツバンクでの事故を振り返った




Reference:Surfing Feb 2014
Illumination by Greg Long

イルミネーション:照明、光源、精神的に目覚めた状態、理解のために障壁を取り除く等


 事故後にヘリで搬送されるグレッグ・ロング
 photo:Ryan Moss


題:イルミネーション
文:グレッグ・ロング
翻訳:李リョウ


 コルテツバンクでの事故から1年が経ち、溺死寸前にまで追いつめたあのワイプアウトをグレッグ・ロングが語ってくれた。事故から学んだ人生と愛と喜びとは。

 挑戦と困難だけから我々は人生を学ぶことができる。今からおよそ1年前、ビッグウェーブをサーフするという情熱の果てに私は危うく命を落としかけた。私は波に乗るためには最も慎重に準備をするサーファーとして周囲から認識されている。しかし私にはその日一つだけ準備を怠っていたことがあった。それはビックウェーブをサーフすることが私の人生であるが故に、自分自身の能力を客観的に見つめなければならなかったということだ。
  
 事故が起きてから、直ぐに私はこの経験を語ることを控えた。事故の追体験をしたくないというトラウマがあったためだ。だが時間が経過し、やっと私はこの事故について語ることができるようになった。しかしその目的はこの生還を自慢することではなく、レッスンとして捉えてもらいたいためだ。あの致命的なドロップと、その後の1年の間、私は世界のビッグウェーブサーフィンシーンにおいて私の存在意義というものを捜し続けてきた。
 私は愛と自信とそして最も重要な人生の喜びについて語りたいと思う。
 それを探し出すことが人生最大の挑戦でもあるのだから。

photo:Ryan Moss


  20121221日、110フィートのチャーター船とともに私は南カリフォルニアの沖合100マイルのコルテツバンクにやってきた。そこには深海にそびえ立つ岩山がある。チームは私とシェーン・ドリアン、グラントツイギーベーカーそしてイアン・ウォルシュの4人のサーファーに加えて6台のジェットスキーによるレスュキューが参加していた。そのレスキューの6人はそれぞれのサーファーに各1台が帯同し,残りの2台は記録と援護という役割を担っていた。
 その日の午後、私は5本セットの波の二つ目の波をディープ過ぎる位置からドロップを試みた。波のボトムまでには到達したものの、波が私に襲いかかり深い海へと私を押し込めていった。この強い重力の危険性を十分に感じながらも、私は装着している救命スーツを利用してできるだけ早く海面に達しようと考えた。しかしそのスーツは作動しなかった。そのために私は長年やってきたように、十分にトレーニングを積んできた二つの肺と自信だけを頼りに心を落ち着かせて耐えることにした。その時間は長く過酷だった、しかも次の波が崩れる前に海面に出て息を吸えないことを認めなけらばならなかった。とにかく私はそのようなことを考えながらも海面に向って泳いだ。この状態で二つの波を海中でやり過ごすということは自分の人生を終わりにすることに等しかったが、私は懸命に海面を目指した。
 そして、ほんのあと数フィートで海面に出られるというところで、私は次の波のインパクトをもろに受けてしまった。その衝撃で私の肺にあったわずかな空気は吐き出されてしまい、さらに身体はショックで震え出した。肺に空気が全く無いということに私は絶望を感じた。私の身体はもだえ必死になって空気を吸いたいと暴れ出した。しかしまだ私は海の深いところに沈んでいた、なにがどうあろうと息を吸うことはできないのだと悟(さとる)しかなかったのだ。「私は大丈夫だ。きっと海面にたどり着くことができる」と思うことだけが唯一の選択でもあった。身体をリラックスさせようと懸命に務めると、呼吸をしたいという要求が一時的にではあるが少しは紛れることができ、次の波が私の頭上で崩れる音が聞こえても落ち着くことができた。

 ポジティブシンキングの力は強い。しかし体力には限界があり自然の摂理には逆らうことはできない。ぐずぐずしてはいられない、なんとしてでも私は海面に出て息を吸わなければならなかった。三度目の波で海のなかは激しく渦巻き、泳ぐことは不可能であったので、私はリーシュを頼りに登ろうとした。私は懸命にそのリーシュを握りしめて数インチずつ登っていったが、やっとサーフボードのテール部分に辿りついたものの、ボードは海面から10フィート下で留まったままだったのだ。
 痙攣と痺れと悶えが再び襲ってきた。脳の酸素が欠乏し疲弊しはじめ私はサーフボードをしっかりと握ることができなくなってきてしまった。そのため私はボードを離して気力を振り絞り海面に向って最後のストロークするとそのまま意識を失った。

 四本目の波が私をインサイドまで押して行き、そこで私は海面にうつむいたままで浮かんでいた。ボードは傍らで浮かんではいたがリーシュは壊れていた。似つかわしくない私がそこにあった。まるで墓石に化したかのような私のボードにレスキューが接近しようとしたが、波に阻まれて無駄に終わった。しかしついにDK.ウォルシュが果敢にジェットボードを捨てて飛び込むと、その死体のような私の身体を抱えて波に流されないように持ちこたえてくれた。次に続いてジョン・ワラとフランク・クイラーテが私の身体を待ち上げてスレッドに乗せ、サポート船へと運んだ。船に引き上げられるとスイムステップのところで私はすぐに意識を回復した。そして痙攣ともに咳をして多量の血液の泡を吐いた。チームは私に酸素を与え脊柱や外傷を受けていないか調べた。そしてコーストガードに通報し救助のヘリを要請した。

 コーストガードのヘリを待ちながら船上で横になっているとき、私は自分の人生を熟考した。「生命」は森羅万象とともに成り立っている。死に直面したとき人はこの世の中の真理に迫ることができる。私は私自身が誰であるか、その意義をそのとき知ることになった。だがそれはプロフェッショナル・ビッグウェーブサーファー、グレッグ・ロングとことを言っているのではない。コンテストの栄冠、XXLアワード、物質的な欲や栄光は私の心からは遥か遠くへと行ってしまっていた。
 その代わりに心に浮かんだものは生身の私自身への問いかけだった。私は周囲の人々に寛容と尊敬の念を忘れてはいなかっただろうか。私は人生における真の目的を持っていたのだろうか。私は世の中のための役割を全うしていただろうか。私は感謝の念を忘れてはいなかっただろうか。私はこの気狂いじみた行為をどれだけ自己評価できるだろうか。もしあのとき私が死んだら、私が大切に思っている友人や家族等は、彼らにとって私がどんな価値をもっていたかを考えてくれただろうか。
ジョーズでのグレッグ・ロング
photo:Heff


 5時間後、夜の大海原に私を載せた担架はヘリに宙づりにされ、100マイル先のサンディエゴの病院へと搬送された。さまざまなCTスキャンなどさまざまな診査がされた後に一晩だけ二次溺水の恐れがないかを診るために入院し、翌日には帰宅の許可が出た。

 私はその後、多くの人から質問をされた事があった。CPR(心肺機能蘇生)を受ける必要が無かったのは何故か、それとどうしてそんなに早く回復したのか。その答えには二つの要素からなりたっている。まず一つ目は、水中で私は呼吸できずにもだえ苦しんだがパニックには陥らなかった。無呼吸を耐えた後、喉頭けいれんが起こり、喉や顔の筋肉が作動して気道を閉じ、肺に水が進入するのを防いだ。これは哺乳類が生存するための本能で水難やブラックアウトのときにも起こる現象だ。この過程で身体に残った酸素は脳に運ばれ可能な限り生きながらえようとする。そして酸素が完全に欠乏すると筋肉は弛緩し身体は自然に呼吸を求めるようになる。この時点でも水中に留まっていると肺に水が進入することになる。二つ目の要素はその肺に水が進入する前にレスキューチームが私を海から救出したために救命処置は必要としなかったし、回復も早かった。(訳注、グレッグ・ロングは喉頭けいれんを自分の意思で起こして気道から肺に水が進入するのを防いだと考えられる。また意識は自力で回復したようだがその状況については言及してはいない、とにかくCPRは必要としなかった。また海中で意識を失うまでの過程で身体の生理的反応を克明に記憶している様子は彼がパニックに陥っていなかったことが判る)
グレッグ・ロング
photo;Taras


 数日後、私はマーベリクスのビッグウェーブセッションに参加した。そこで私は、私に対して驚異を感じている人々と顔を会わせることになった。さまざまな疑問が解決しないままでいたようだが、とにかく本誌が私に質問した内容はこうだ「瀕死の事故に遭ったばかりなのにどうしてビックウェーブに臨むことができるのか」私は簡潔に言葉を選んで答えた。ビックウェーブサーフィンは私の夢でありそのチャンスを何ものも阻むことはできないのだ。
 だが正直なところ、なぜパドルアウトしたのか私にもその理由がよく判らなかった。ビックウェーブをサーフするという至福に満ちた自分の夢が、悪夢に変わっていたのにだ。そのときのインタビューで私の精神状態は明白でかなりエゴがむき出していた。私はこう考えていたのだ。もし私が出場しなければ人々は私が衰えたと感じるのではないだろうか。私の気分はまるで友だちの見ている前で、自転車で糞を踏んでしまったかのような気分だったのだ。
 
 もしそうだとしたらどうすれば良いんだ?汚れを拭いて自転車に乗り続けるしかないじゃないか。その間、彼は傷つき惨めな思いだろう、恐れを感じていることも悟られたくはない。
 もう以前のように期待に胸を弾ませてビックウェーブに向ってストロークするなんてことはできなかった。最初のセッションですぐに確信できない脆弱な気持ちが露呈した。私は自信とセンスを失っていた。このセンチメンタルな心理状況は普段の生活にも影響を及ぼした。私は心のドアを閉じて襲いかかるさまざまな葛藤と格闘を始めたのだった。16年間に及ぶビックウェーブに全身全霊で掛けてきた私の「世界」は倒壊し私はその瓦礫の下にうずくまってしまったのだった。

 それでも私はそれから数ヶ月前進を続けた。できうる限りのビックウェーブセッションに全力で取り組んだ。以前のような気分でサーフすることがいずれ訪れるのではないかと期待していたのだ。マーベリクス、ジョーズ、プエルト、チリと全てのセッションは私自身の心との格闘だった。そして南アフリカでビックスウェルを追い続けていたときだった。そこでも私はラインナップに見失った自分の居場所を捜そうと懸命だった。だがそこで私はついに壁にぶちあった。フラストレーションで疲弊しきっていていた私の心がそこにあった。私はビックウェーブに乗ることに喜びを全く見いだせないことをついに悟ったのだった。

  私は人生で初めてビックウェーブサーフィンを意識的に避けるようにして旅に出た。ボードバックとカメラ、スウェルチャートを家に置き去りにしてペルーのアンデスへと向かい隠遁的な生活を始めた。私は日常から逃れて自分の人生を俯瞰で見つめ直すことにしたのだ。そして混乱する私の心からあるシンプルな答えを見つけることができた。その答えはいままで私があまり注意を傾けてこなかったことであった。あの船上で横たわりながらヘリを待っているときに感じていた気持ちと大変良く似ていた。
 つまり私はあの事故から、もう一度かつてのビッグウェーブサーファー、グレッグ・ロングに戻ろうとしていたのだった。それは誰もが夢を実現しようと努力するように、私もそうすることが正しいと思っていたのだ。だが現実の世界は違う、この世の全ての事象は常に変化を続けている、それは否定できない事実で、昨日まで感じていたことや抱いていた夢が今日は異なっているというのは普通のことなのだ。その変化は受け入れるしかない。過去の過ぎた夢にしがみつくか、それとも今現在の真の価値ある幸福を捉えようと努力するべきか、事故後に私が行なってきた挑戦は、私自身の本音を隠そうとしていたことに他ならない。
 今回の事故は私にとってトラウマ的体験であったしそう感じてきた。でもそれって瀕死の経験だったからそう思うのかな?でも実際のところ、事実は人の思い込みによって成形していくのだ。コルテツの1000リーグも深海のなかで私は堪え難い痛みと呼吸の渇望を放棄したことは人生を生き抜くときに抱くネガティブな思考や感情からも放棄したということと全く同様なのだ。

 だがそれをネガティブに捉えるのではなく学ぶ機会を得たと考えてみる。それによって私は精神的な重荷から開放されることができた。人生というゲームのなかで私たちは夢の実現を追求している。そして誰もがワイプアウトを経験し大丈夫だと自分に言い聞かせる。苦痛や悲しみを避けて通る道もあるが、何が起ころうともそれを受けいれるという選択もありそこから人生を学び知恵を得て賢明となり、洞察力、経験、人間としての成長を押し進める助けとなるのだ。
  自分自身の発見と黙考の旅で学んだことは、周囲の期待や批判に振り回されるなということだった。そのかわりに私は自分自身の真実の声に耳を傾けねばならないということを知った。
真実の叫びから遠く離れるか、その気持ちや感情を隠していたならば、私はさらに混乱に陥ってしまう。
 おそらく私は人々から質問されるだろう。「復活して、いままでのように続けるのだろうか」とだ。私はいままで自分自身のための挑戦としてビッグウェーブをサーフしてきたし、人生においても留まることなく挑戦を続けた。もう一度言おう、人生から学び成長することこそが真の挑戦なのだ。もしその経験から学びうるものがあったとしたら、プロフェッショナルとしてかそれともリクリエーションかということにこだわるのはどうでも良いことなのだ。
 人はそれぞれが違う道を選び歩み続け、絶え間ない経験によって、「私」が形成されていく。幸福を目標に努力し人とは違った道を歩み、その道すがらで人を助ける。個人的な喜び、夢、感情、献身。この気違いじみた人生を楽しみ、ライディング、ヘビーなワイプアウトと絶え間なく波から教えられ成長する。波こそが価値と美徳であり人生の教導者なのだ。