2016年4月28日木曜日

サーフボードインプレッション、その後のモナカちゃん

 サーフボードのフィーリングは
かなりインチキなところがあって、
波が良いと、どんなボードも走るからね。
初乗りでそうなると「これ良いじゃん!」となる。

カットフィンいいですよ〜
ロングで使ってた古いフィンを
グラインダーでカットしました。
お試しください。


 このモナカちゃん、初デートがリーフの肩頭
だからいきなりディズニーランド行きました!
みたいな第一印象で
もうちょっとつきあってみよーかなー」
な感じです。
ノーズもっこり、テールロッカーは
ストレート気味かな〜


 でもね〜なんか最近思うんだけどお〜
シングルフィンけっこう良いんだよね。
なんかね〜乗りたくなりやす。
シングルの流行は世界的な流れで、
オーストラリアでも流行ってる。


  AUSの友人のシェーパーに聞いたら注文多いみたい
「なんで?」って聞いたら
「トライフィンにみんな飽きちゃったんだよね〜」
なるほど。
見た目だけで流行っている
わけじゃ〜ないってことだな。


 さてサーファーズジャーナル読みました?
デイブパーメンターの
「シングルフィン燃やしちゃうの?」
独断と偏見に満ちた彼の文章は難解だけど、
みょうに説得力があって
トライフィンが悪役に
感じられてくるからおもろい。
まあ訳が良いんだな〜って笑。
この写真良くない?

 さてモナカちゃん、
スピードが乗ってこないっていう話だったけど、
僕の診断だと、板が短か過ぎるゆえの
グライド感が少ない的な、そんなフィーリングが
失速感を与えてるんじゃないか?
と思います。
ジムマッカラムの4'11"ミニシモンズも
そういうフィーリングでゴンス。
バイクでいうとホイールベースの
短いバイクの感じです。
ホイールベース長いほうが
グライド感は高いでしょ?
一輪車とハーレーの違いです。
例えが極端かな?

 まあとにかく、
もうちっとデートしてみたい
ボードであることは間違いない。
フィンも長めのカットフィンを
思い切ってノーズ寄りにしたら
かなり好調。
もっとフィンをカット
してみようかな〜とも思っています。

シングルフィン
面白いです。
お試しください。


 協力ギアーズサーフボード

2016年4月21日木曜日

サーフィン初心者てきココロ、その3、サーファーっぽく話せ!


ささった

パーリング


ろこにまえのりされた

ローカルサーファーに波を横取りされた



たまにこし

腰サイズのサーフコンデション


せっとだぶるでみんなくらった

身長の2倍の大波が想定外でブレイクし全員が飲み込まれた


ひいたらやれるけどろこあつまりそう

潮がロータイドになればコンデションが良くなりそうだが、ローカル(常連)サーファー
たちがそれに合わせてやってくるかもしれない




おんぶりぶり

オンショアの風で波のコンデションが悪い


めんつるかしきり

無風で海面がおだやか、サーファーは他にはいなかった


かぶってめいくした

波のチューブに入り抜けることに成功した。


たるくてしごいていんさいどでちょっとあてるかんじ

波のフェイスに角度が無いために自力でサーフボードを加速させ、
波のフェイスが立ってきたところでオフザリップを試みた


すなだからわいどでもつっこめるでもたまにいわがみえた

海底が砂だからチューブにも入れるが岩が露出しているから注意が必要だった




こしはらたまのせっとあたま

波のサイズが日本人の平均身長で計ると腰から腹くらい。そして一定の時間差で身長以上の波が数本連なってなって崩れた



おふだったけどげっとしたらすぐみなみにかわった

陸風が吹いていたから海に入ってサーフィンを
しようとしたら海風が吹き、コンデションが崩れた


あげたらできる

満潮まで待てば波のコンデションが良くなる
















2016年4月14日木曜日

マット・ウィルキンソンを勝利に導いた男:The Yoda Interview



SURFER magazine


マット・ウィルキンソンを勝利に導いた男

グレン”マイクロ”ホールは優れた名将だ。この34歳の優勝仕掛け人はまだプロツアーの選手を引退したばかりだが、マット・ウィルキンソンを連続で優勝させ、テイラー・ライトもスナッパーで勝ちベルズでもクォーターファイナル進出という好成績を収めさせた。ツアー選手のチームを組織し彼らの懐刀としてコーチングしているマイクロ、しかしウィルコには夜遊びが必要と名将は断言した。

サーファー誌:君とウィルコの出会いから教えてくれないかな?

マイクロ:僕はウィルコより9才くらい年上なんだ。エース・ブーチャンと僕はセントラルコーストで育って、ウィルコはまだガースヘルメットをかぶった小太りの少年だった。
でももうスペシャルなサーフィンをしてたよ。あのワイルドで個性的なラインやターンはその頃からもうできていたね。10才のときには目立っていたからね。
キャラもユニークだったし、俺流で勝っていくようすはクールだった。

ウィルコは成功する要素をすでに持っていて、それが起こったということ?

100%そのとおり。彼はナチュラルで異常ともいえる才能の持ち主なんだよ。もし彼がその才能を活かす方法を知っていたなら、成功はもうとっくに起こっていただろうね。
それが今現実となったということ。彼は勝つためのバランスの取り方を発見し、しかも今までとおりの自分を見失っていないんだ。僕はそこが一番すばらしいと思っている。
つまり彼はいまも超ヘンな奴なんだ。ただ以前と違うのはベッドに行くのが少し早くなったことと、試合のためにほんの少し変えたことがあるだけさ。

毎年クオリファイするだけで必死だった彼を見て、あなたにひらめきがあった?

そのとおり。良い結果の出ない彼を見て、僕もあいつはなにやってんだとイラついた。ウィルコがツアーから脱落するなんてありえないって、その解決策を僕は深く考えたのさ。
僕はウィルコからくらべたら十分の一くらいしか才能の無いサーファーだったんだ。でも彼の10倍くらいは努力した。そうだ!もし僕の努力の経験と彼の才能が合わせられればすごいことになるぞってね。その結果僕たちはいまここにいるんだよ。

その計画を話したのはいつ?

昨年の終わりに話し合ったよ。でもトップの連中のようには彼は金を払わなかった。彼は僕の給料や経費を払う気はなかったんだ。でもオーウェン・ライトが僕と組んで結果を出して、テイラー・ライトやローラも続いてね。それで突然チームが完成して、そのことに全員が喜んだ。思うんだけどジョンジョンのような選手は一人で大勢の取り巻きに囲まれている。その状態はある種のプレッシャーを生み出してしまうんだ。でもチームはそういうものを吹き飛ばす力がある、チームでいるからリラックスできるしプレッシャーも分散する。4人の結束は固いから有効だね。


君は一人でコーチするからね。君はジョンジョンと今年は組もうと話しをしたんだろう?どのくらい彼をコーチしたの、ウィルコじゃなくて?

彼の取り巻きとジョンジョン本人にも去年のポルトガルで話したよ。でも笑っちゃうのはその試合で少しだけ計画を進めてみたんだ。でもその始めたヒートですぐ終了、もう二度と声は掛からなかった。

君をジョンジョンがコーチとして興味を持ったのは、昨年トレッスルズで君に負けたからじゃないかな?

なんとも言えないけど、腰を据えて話し合ったときは彼はそのヒートについて言及したね。そのときのプライオリティやポジショニングなんかについて話し合ったよ。
僕は勝とうとはしていなかったんだけど、彼はきっとなにかの理由があるって思ったんじゃないかな。


どうして君はツアーで自分自身をコーチしようとは思わなかったんだい?誰かをコーチするよりいいだろう?

笑、僕には才能が無かったんだよ。昨年でもう終わった。正直言えば、十分に勝つことができる波を2本も乗っているのに負けたことに気づいたんだ。十分に戦えないってことなんだよ。

ウィルコはベルズで一日3回も戦って、ちょっと過酷だと言わざるをえないよね。ここ数年を見てると彼は大きな波では疲れてしまうようだったけど、彼のフィジカル面でのトレーニングはどのくらい重要だろうか?

それは最重要課題だよ。彼の昨年のスタートはベストとはいえなかった。でもトレーニングには時間がかかる。彼はジムでトレーニングをしてこなかったんだ。それは彼にとって楽しくないことだからと僕は気づいたんだよ。彼は楽しいトレーニングならするんだ。そこでバランスボールやちょっとクレイジーなものを用意して本人が気づかないうちにトレーニングになっているような方法を考えたんだ。とにかく彼はつまんないことはしないのさ。


過去のツアーファイナルを思い返しても、ウィルコはすばらしい戦略で勝利しました。もし昨年そう聞かされたら、あたなだって信じられないって笑ったんじゃないですか?

ジョディと対戦したとき我々は少し戦略も考えてそのとおりに実行しました。でももっと重要だったのは彼の試合に対する姿勢だったのです。ジュリアンとダンタスに勝ったヒートもそうでしたが
彼は自信に満ち溢れていました。もし君が燃えていて自信があったならば、波はそこにやってきます。どんなものにも立ち向かおうという気持ちにさせます。戦略的にも彼は改善しています。でも
なにより自信を持ったことが勝利へと繋がったんです。


試合でのウィルコのマネージメントは大きなチャレンジだと思います。でも本当のチャレンジは夜の彼をマネージメントすることだと思いますがいかがですか?

彼の夜行性的な行動をマネージできたら君は有能だと思う。ベルズのファイナルの前夜、私たちはベルズの裏のある場所でライブ演奏に参加し、ビールを飲んでハンバーガーを食べた。彼はトップランキングのイエロージャージーだから、家に居てじっと我慢していろと命令もできたよ。でも僕たちは外に遊びに行って彼のとなりに座って考えた。これいいんだってね。マネージングで難しいのは重要な時期に度を越してしまいどうしても家に連れ戻さなければならなくなったときだ。でもいまはそういう時じゃない、だって彼はいま順調に進みだしているからね。注意しなければならないのはむしろ彼が真剣に考えすぎ始めたときだ。もし彼が家に閉じこもってしまったならば、僕は彼を外に連れ出してビールを飲ませるだろう。僕は彼に彼らしくいて欲しいんだ。

ベルズで勝った夜、ウィルコのビール代は全部君が払ったって噂だけど?

僕だったらいいと思うけど。翌朝は僕もウォッカを140杯くらい飲んだ気分だった。

ウィルコはフロントサイドでどう戦うと思う?

彼はまだ世界に披露していないクレイジーなラインをいくつか持っているんだ。バレルでも証明する自信はあるからタヒチとフィージーでも一線を越えるだろう。もしその試合で波が大きければ彼にとってチャレンジになる。でもそれは誰にとってもチャレンジなんだ。怖いと思うかもしれないが、でも重要なことはそうなる可能性があると想定していること。勝つためにはそこを乗り越えなければならないと覚悟を決めていることさ。もし恐怖を乗り越えたならウィルコのクレイジーな才能に火が点くよ。ガブリエル・メディナもそこを乗り越えたんだ。ウィルコも彼と同じ。


ウィルコもいつかは負けるだろう、大丈夫かな?

もういくつかのイベントでは良い結果が出ないと想定しているんだ。でも以前と大きな違いは負けることより勝つことの方が楽しいって彼が気づいていることだね。

ウィルコの2連勝はツアーの序列を変えたと感じてる?

もちろんだよ。みんなの目を開かせた。ミックとケリーという偉大なトップの影響力が消えつつあるからね。ウィルコの勝利はすごい影響力を放っているだろう。


もしウィルコがリードしたままパイプで戦うことになったら?

バレルに突っ込んで勝つだろうね。その夜の飲み代は払いたくないよ。でもパーティーはあるだろうけど、もう次の年のスナッパーに向けて彼は準備をしなければならない。もし3勝してもタイトルが保証されたわけではないから、そこからどうするかだね。だからベルズの翌朝マーガレットリバーに行くために僕はウィルコを叩き起こしたのさ。

(略した箇所もあります。また誤訳の可能性も有り、ご了承願います。訳者)

@@@@@@@@@@@@@@@

2016年4月12日火曜日

ソウルサーファー:BEARING THE TORCH by Andrew Kidman



@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 2011年冬、韓国系オーストラリア人のサム・ユンはカウアイ島に家族と滞在していた。妻のエッコとモアナとレノという二人の子供とバンでキャンプしていたとき、彼はジョーズのパイオニアサーファー、ライル・カールソンからメールを受信した。「ジョーズ金曜日」
 二日後ユンの家族はジョーズの崖の上にテントを張った。「その夜、波の砕ける音を聞きました」とユンは語った。「エッコは僕がサーフするのを知って不安に思っていました。子供達は何が起こるのかはわかりませんでしたがただならぬ気配は感じていました」
翌朝、夜明け前にユンはピアヒへとパドルアウトした。ボードは彼がクイーンズランドでシェープした重いシングルフィンだった。「誰かが崖を下っていくのが見えたらもう我慢ができなかった」とユン「それに波を観察しすぎると恐怖感が増すんだ」まだ海は漆黒でチャンネルには誰もいなかった。ユンは最初の波を捉えた。「暗くて何も見えなかった」とユン「それは古いテレビのようにゆっくりと始まった。ドロップをメイクしたいと思っていた。夢が実現した喜びで僕の体は震えた」カールソンはユンにこう言ったことがあるという。「ジョーズの一本は人生を変える」セッションのあと私はユンにそのことを質問した。「生まれ変わったような気分だ」ユンは語った「もう一度小さな波からサーフィンを始めたい気分だ。高い山を征服した登山家が、もっと高い山を征服したくなるような気持ちとは違う」ユンがジョーズをサーフした日。ネーザン・フレッチャーとギャレット・マクナマラが崖の上にいるユンを見つけて彼のサーフボードについて質問してきた。ユンのボードは典型的な大波用のボードとは異なっていて、ナックルノーズとユンが呼ぶソフトなカーブ形状をしていた。


「ボーイング737やスペースシャトルのようにしたかったんだ」とユン「ずんぐりした形がノーズダイブで刺さるのを防ぐんだ」私はヨンがそのボードでサーフするのを目撃したことがあった。オーストラリアでのことだった大波に遅れながらも彼はワンストロークでテイクオフした。私は、底から掘れ上がった波で彼がそのままパーリングすると思った。しかし突如そのノーズが海中から飛び出し、ユンはレールをセットして猛スピードで走り抜けた。あのような光景を私は初めて見た。




 ユンは波だけでなくすでに子供のころから逆境に直面していた。韓国で生まれたユンは12歳で家族とともにオーストラリアで移住した。シドニーの郊外に移ったそこはほとんど白人だけの社会だったためにユンと兄弟は学校でイジメの餌食となった。「初めて登校した日に弟が糊のバケツを頭から掛けられたよ」とユン「毎日そんな調子だった。戦いたくはなかったが兄弟を守るためにはしかたがなかった」そしてユンは不良の道を突っ走ることになる。13才のときには親友が車を盗み警察に捕まるまで数週間その車を乗り回した。
「パトカー7台とカーチェイスをしたんだ」とユン。保護されて家に戻ってもすぐにユンは家を抜け出した。友人とブリズベンへと逃げようと計画をし結局サーファーズパラダイスへとたどり着く。2人はバックパッカーのコミューンに紛れこみしばらく暮らすが最後は発見されて家に連れ戻される、だがそのときにユンはサーフィンと出会い、15才になると再びゴールドコーストに戻り本格的にサーフィンに没頭する。

 そしてユンは将来の伴侶となる日本人女性エッコと出会う。二人はすぐに意気投合しオーストラリアだけでなく9年間も世界中を旅して回るようになった。「可能なかぎり節約して旅を続けました」とユン「行き先では地元の人とできるだけ同じように暮らして彼らを理解しました。彼らの文化を直接知ることが大切だと考えたからです」
西オーストラリアではユンは管理人の仕事を半年続けた。また種子島では道路工事の仕事もしてエッコは工事の旗振りをしたという。サンディエゴではユンはコリアンレストランとスーパーマーケットそしてカラオケバーを1日でこなしたこともあった。
フィリピンで金が尽きたときはクロウド9のTシャツを作って売り、次の3ヶ月は暮らしていけるくらい稼いだ。その旅行の間、彼らはサーフィンのスキルを磨いた。モーリシャス、モザンビーク、スリランカ、インドネシア。
日本ではフジという人物からシェーピングルームに招かれてサーフボードを作ってみないかと誘われた。「ミスターフジはどうやって道具を使うか見せてくれたんだ」とユン「でもシェープについては語らなかった。僕は自分でサーフボードを作ってみたいと願うようになった」彼はその気持ちが心の中で燃えるのを感じた。

 そして二人はハワイへとたどり着く。もちろんユンの目的は波だが、ハワイの多種多様の民族が交流する文化にユンの心は大きく揺さぶられることになった。腹が減ればキムチや白米を食べることができるハワイが、ユンにとって家に戻ったような気持ちにさせたからだ。


 『カウアイに着いて初めてスーパーマーケットに行くと男がやってきて僕を抱きしめたんだ「おまえどこにいたんだ?おまえが戻ってくるのを長いこと待っていたんだぜ」「兄弟、生まれて初めてここに来たんだよ」と僕は答えた』
 ユンたちはこの島の住民とすぐに打ち解けた。「僕とエッコを家族のように扱ってくれた。つまりオハナ(身内)として」とユン「箱に食べ物を入れて与えてくれるんだ。平らげるとまた補給してくれる。それは最高の人生の生き方。手に入れたものをみんなでシェアする。それこそ人生の価値なんだ」

 2005年ユンとエッコはゴールドコーストに戻り清掃業のビジネスを始め、その傍らでユンはハワイ用のサーフボードをシェープするようになる。そしてユンはアラン・バーンと親交を築く。バーンのシェープルームがユンの家のすぐ近くだったため、バーンが家へよく立ち寄るようになる。彼らはサーフボードのクラフトマンとして絆を深める。ユンはバーンの仕事をまるで子供が父親を習うように観察する。
 2013年、ユンはパイプの波を乗る決意をしてバーンにボードを注文する。それは1981年のパイプマスターズでサイモン・アンダーソンに次いで二位になったときのボード、シングルフィンのチャンネルボトム10’4”だ。
「可能なかぎり厚くそして重く作って欲しいと彼に注文したんだ」
その年の2月、彼はそのボードでパイプをサーフした。エイジアンであることを利用し、誰もがハワイアンだと悟らせてのセッションだった。そのなかにはケリー・スレーターもいた。
セッションのあとにケリーが私に質問してきた。
「あいつは誰だよ、上手いサーファーじゃないか」
「そうだろう」
「どこから来たんだ」
「ゴールドコーストだよ。本業は清掃業さ」
「マジで?」とケリーは当惑した。

 ユンのゴールドコーストの家は1950年に建てられた小さな家。彼は冷たい日本茶を私に煎れてくれた。家のなかは甘い香りがしてオアフのノースショアーに居るような雰囲気だ。テレビにはデンジロー・サトーの自主製作映画が流れている。それはロニー・バーンズ、マックス・マデリオス、ジェリー・ロペスそしてジョニー・ボーイ・ゴメスらが80年代にサーフしたパイプの映像で、ギターのソロが重なっていた。
「30年早く生まれることができたら良かったなと思うんだ。60年代後半から70年代前半だね」とユンはいう「その時代がすばらしいと思う、その時代のボードが好きなんだ」
ユンとの会話が発展してサイモン・アンダーソンを紹介しようと私は思い立った。サイモンは試合観戦でゴールドコーストにやってきていたからだ。それに私はサイモンのオリジナルスラスターを預かっていて返却しようとも思っていた。だからその前にユンに見せてあげてもいいだろうかと聞いてみた。するとサイモンはユンとあってユンのボードを見たいと言ってきた。
そこで私はバーンに電話をしてユンの家に集まらないかと誘った。
バーンとアンダーソンは1981年のマスターズ以来、顔を合わせたことはなかった。その年大波のベルズとパイプで勝利したサイモンのスラスターはサーフィンの歴史を変えた。「お前は俺の人生をめちゃくちゃにしたんだ」とバーンはジョークをサイモンに言った。
「そのボードはくだらないね」とバーンは冷やかした。
「お前はその恩恵を授かったんだよ」とサイモンは大声で笑った。


 そして裏庭の椅子に腰掛けるとユンが火を灯し、サーフィン談義が始まった。アンダーソンはユンのボードに興味を持った。ユンはアンダーソンにガンを作ることについての意見を求めた。アンダーソンはユンのやり方については気にっていたが、ただボードがどう機能するかは、大きな波(訳注おそらくジョーズのような)に乗ったことがないから理解できないと言った。和やかな会話が終わり新旧の友情が交わされ抱擁とともにそれぞれが別れを告げた。(バーンの不幸な事故がバリで起きたのはそらからまもなくのことだった)家路の途中でアンダーソンはユンのサーフボードについて語った。「ユンのやっていることは驚きだね」とアンダーソン「あれは私たちが育っていた昔のままだ。世界中のバックヤードシェーパーが独創でサーフボードを作っていた時代だった」そしてアンダーソンはこう締めくくった「そのスタイルが今も続いているなんて最高だよ」
(訳文は一部省略いたしました。了承願います)


2016年4月6日水曜日

サーフィン初心者的ココロその2。上手くなる重要テク〜パドルの一

パドルこそすべて。
パドル、パドル、パドル
1にパドル2にパドル3にパドル4もパドル!
あと10くらいまでパドルが
続くと思っていい
重要なテクニックです。
サーフィンが
上手くなりたかったら
パドルを真剣に考えよう。
どうやったら
パドルが強くなるか〜
やだな〜疲れるな〜と
思っていたら、
サーフィンは
上手くならないです。

じゃあパドルってどうすれば
強くなるか?
可能ならば、
毎日サーフィンをする。
毎日続けて
サーフィンをすれば
パドルは
強くなります。
これが一番楽しい方法!
筋肉を
鍛えるわけだから
一ヶ月に一回サーフィン
じゃあダメだよね。
週一回でもキビシ〜
理想は毎日、
みたいにサーフィンしたいね。
そしたらパドル強くなります。

それが無理ならば、
他のやり方で鍛える。
なかなか海に行けない人は
それ以外の方法でパドル筋を
鍛えるしかない。
つまり水泳、もしくは
筋トレですね。
ゴムチューブを腕にはめて
パドルを室内で
イメージして
やってみるのも良い。
僕は水泳はしないです。
プールはお金がかかるし
泳ぐだけって
退屈なんです。
@@


さて、サーフィン雑誌は
パドル教えてくれません、
ライディングテクニック
中心の解説が多い。

パドルを鍛えましょう
だけじゃあ
記事になんないし〜

頭よくなりたければ
勉強しろ!
と言われている
みたい?笑

まあとにかくパドルが強い人が
サーフィンは早く上手くなります。
僕も毎日の生活に
軽い筋トレを
取り入れています。
ドアノブにチューブを
取り付けて
引っ張るだけですが
これを続けると
驚くほどの効果があります。
とにかくサーフィンは
パドルです。
サーファーにとっては
永遠の課題です。
サーフィンを休めば
パドルが落ちるから
小波でもみんな
サーフィンするんです。
プロサーファーだって
自分のパドル力をいつも
気にかけてます。

とにかくパドル力が
アップするもしくは
キープできる方法を
自分で探すしか
ありません。
パドルがんばろ〜