2014年2月21日金曜日

ウェイン・リンチが語るロルフ・アーネス。サーフィン百科事典より。

Thttp://encyclopediaofsurfing.com/eos-blog/wayne-lynch-talks-about-rolf-aurness/

WAYNE LYNCH TALKS ABOUT ROLF AURNESS




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 マット・ワルショー氏のサーフィン百科事典(Web)にはブログもあり、サーフィンオタクにとってはかなりイケテル内容でス。まあマットさんはサーフィンオタクの教祖みたいな方ですからね。ウ〜ンそこを突くか〜って感じです。
使用許可もいただいてますよ〜。
原文は上記URLをクリックくださいね。

この記事の面白いところは1970年の世界選手権でロルフが勝ったときに、ウェインが選手としてそこにいてロルフのサーフィンを目撃したということですね。天才が天才を語るというインタビューであります。完訳ではありませんのであしからず。

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Rolf Aurnes
Photo:unknown

  
まだジュニアから卒業したばかりのロルフに対してサーフメディアは鈍い反応だったけれど、ベルズでは彼の存在を知っていた?


 PCも携帯電話もFBもなにも無い時代。アメリカのサーフ編集部も来ていたけどのんびりしていた。だから他のサーファーについての話は噂でしかなく情報は古いか、もしくは誤りのいずれかだった。ああ、ロルフのことは聞いていたけどよくは知らなかった。彼の父親がジェームス・アーネスだってこともね。(ハリウッドの俳優)

ロルフは練習のために早くベルズに来ていたようだけど、試合が開催される前に彼を見ましたか?

試合よりも四週間早く現地入りしていた。波と場所に慣れるためにね。USチームより早かったんだ。トーケイのロコには好印象を与えたよ。すごく自然にとけ込んだ。父親のジェームスには会わなかった。南オーストラリアに私が出かけていたからね。帰ってきたら彼だけがアメリカに戻っていた。試合の一週間くらい前にロルフと出会ってサーフトリップにも行ったよ。


彼の印象は?

すごく自然で流れに任せるタイプかな。彼のことが好きになった。サーフィンや共に暮らしてお互いに共通点があることを知ったよ。もちろん彼のサーフィンやサーフボードにも興味が湧いた。まだショートボードの初期のころだったから、思考錯誤の時代でもあったしいろいろな可能性が広がっていた。(ロルフは6'10"のビング、ダン・ベンディクセンシェープ。リンチは6'の彼自身のシェープに乗っていた)



映画フリーフォームにあなた達のフッテージがあるけど憶えている?スモールサイズのベルズだと思うけど?

ああ、寒い秋の日だった。クリーンなスモールサーフで、ロルフのサーフィンはすばらしかった。ベルズのセミフラットなところでも速かったね。私の板はこのコンデションでは機能しなかった。ロルフのは私が2年前からデザインしていたものに近くもっと洗練されていた。彼のサーフィンを見て閃きがあったんよ。新しいデザインの道が開けたんだ。




ロルフはアメリカで出場した試合に全てに勝ち、また世界選手権でもその実力を示した。でも彼はコンテスト向きの性格では無いように見える。そのことについてはどう思う?

ロルフの試合におけるメンタリティーは完璧だ。サーフボードは当時最高で、彼自身そのことをよく理解していて自信も深かった。彼のサーフィンは流れるようでかつ美しい。ビーチでも彼の落ち着きと自信を持っている様子が理解できた。彼はコンペティターでしかもスポーツマンシップに溢れ集中力も素晴らしかった。彼は試合中、他の選手に対して暴言も吐かなかったし興奮したりゲームから排除しようともしなかった。完璧なゾーンに入っていて、リズムも掴んでいた波のコンデションがどうであろうともね。

試合そのものはどう運営された?

私も含むローカルサーファーたちはあまりの露骨な商業主義に幻滅したね。コンテストサーフィンに対して情熱を失った。

良かった点は?

多様性が在った点かな、そういう意味では最後の大きなコンテストだった。サーフボードやスタイルのに関しての議論など、いろいろな個性が集ってきたからね。サーフィンの文化としてもユニークな時代だった。

あなたはその後、表舞台に現れなくなりましたね。

徴兵から免れるために数年間コンテストから姿を消したんだ。自分のしたいサーフィンや人生を目指したんだ。

ロルフも隠遁しましたね。

そうだよ、同じ立場に近かったから、気持ちも同様だったんだろう。もし彼が名声から逃れるために静かな生活を求めたのだとしたら支持するね。

ロルフとは連絡を取り合っていますか?

いや、いつもそのことを後悔している。最後に会ったのは彼が勝った夜だった。夕食会に私が来なかったので、彼は私のシェーピングルームにやってきたんだ。当時すでに私は徴兵を拒否していて警察の目が気になっていた。二人きりで、私が手がけているボードに関して45分ほど話し合った。彼はこの土地や人々がすごく気に入ったと言っていた。驚いたのは試合のことに一切触れなかったことだ。彼は挨拶と感謝を述べただけ、すばらしい態度だった。ちょっとふしぎなことなんだけど。あの夜彼が去っていったとき何か悩みを抱えているんじゃあないかと私は感じたんだ。名声が不幸にもその本人を傷つけてしまうようなことが起こっていたのかもしれない。






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