2015年7月31日金曜日

映画factory life 裏話 その三

   さてサーフムービーがなぜつまらないのかという話に戻そう。(これは個人的な主観)結論を先に言えばストーリーがないことが原因だと思う。(全てではない尺の短い作品にはストーリーがなくても面白いものもある)ストーリーとは「何かが起きてその結果こうなりました」という話の筋だ。それがサーフムービーには今までほとんど無かった。いや無くても許されてきた。それはサーフムービーがサーファーにとって「イメージトレーニング」という役割を果たしていたからだ。サーファーはイメージトレーニングとしてサーフムービーを無意識もしくは意識して見てきたのだ。だから映像を作る側もライディングをたくさん撮影してよりすぐりのフッテージを編集して映画にしてきた。そこにストーリーは必要無く高度なテクニックや驚きがまずありきだった。


 僕が数年前に中村竜と製作した「Mune Kata Atama」もそういう映画だった。一般サーファーが一番興味のある胸、肩、頭の波を中心に、日本やバリのサーファーにサーフしてもらって製作した。これはサーフィンのアクションと音楽をノリだけで編集したまさにコテコテのサーフムービーだった。


 だが今回の「factory life」はそのような一般的なサーフムービーとは異なった映画となった。まずサーフィンそのものの映像が少ない。この映画はサーフィンの映像を極力減らした。いや必要なくなってきたという方が正しい。その結果、皮肉にもわずかしか登場しないサーフィンのシーンに観客は集中するようになった。そしてここにはストーリーが存在する。サーファーがサーフボードを作ってビッグゥエーブに挑戦するという単純極まりない筋ではあるが、この筋が観客を最後までひっぱる。サーフボード製作のシェープから始まって完成するまでのストーリーが、サーフィンに興味が無い人にもその先どうなっていくんだろうという興味を抱かさせてくれるのだ。そしてクライマックスがビッグウェーブに挑戦だ。サイドオフショアが吹き荒れるチャレンジングなコンデションは経験豊富なサーファーならばその難度が理解できるだろう。


 さて、とはいうものの最初からこのような企てでこの映画を製作したわけではない。サーフボードの完成までは撮るつもりではいたがそれを映画にするかどうかはずっとアヤフヤだった。千葉通いが始まってから工場のスタッフと仲良くなり、一緒に食事をしたりサーフィンをするようになってから彼らを撮影しインタビューを取りだしてやっと映画の材料が、ワインの瓶の底に溜まる澱のように少しずつ積もっていき、映画になるかもしれないと本気で思うようになったのはじつは一年を過ぎてからだった。


 私はサーフィンを始めたころからサーファーという言葉に憧れを感じてきた。だから「サーファーとはなにか」という問いを自分自身にこれまで投げかけてきた。そこで「サーファーとして生きる」を二つ目の製作テーマとしファクトリーのスタッフに彼らのライフスタイルを語ってもらった。世代によってサーファーの考え方もいろいろだし、選ぶボードもスタイルも違いはあるが、そのキャベツの芯のところは年齢ほど隔たりはないとインタビューを通じて改めて感じた。だからさまざまな世代のサーファーにこの作品が受け入れられると信じているし、またサーフィンを知らない人にもその芯の部分は共感していただけるのではと思っている。

 















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