2014年1月9日木曜日

グレッグ・ロングがコルテツバンクでの事故を振り返った




Reference:Surfing Feb 2014
Illumination by Greg Long

イルミネーション:照明、光源、精神的に目覚めた状態、理解のために障壁を取り除く等


 事故後にヘリで搬送されるグレッグ・ロング
 photo:Ryan Moss


題:イルミネーション
文:グレッグ・ロング
翻訳:李リョウ


 コルテツバンクでの事故から1年が経ち、溺死寸前にまで追いつめたあのワイプアウトをグレッグ・ロングが語ってくれた。事故から学んだ人生と愛と喜びとは。

 挑戦と困難だけから我々は人生を学ぶことができる。今からおよそ1年前、ビッグウェーブをサーフするという情熱の果てに私は危うく命を落としかけた。私は波に乗るためには最も慎重に準備をするサーファーとして周囲から認識されている。しかし私にはその日一つだけ準備を怠っていたことがあった。それはビックウェーブをサーフすることが私の人生であるが故に、自分自身の能力を客観的に見つめなければならなかったということだ。
  
 事故が起きてから、直ぐに私はこの経験を語ることを控えた。事故の追体験をしたくないというトラウマがあったためだ。だが時間が経過し、やっと私はこの事故について語ることができるようになった。しかしその目的はこの生還を自慢することではなく、レッスンとして捉えてもらいたいためだ。あの致命的なドロップと、その後の1年の間、私は世界のビッグウェーブサーフィンシーンにおいて私の存在意義というものを捜し続けてきた。
 私は愛と自信とそして最も重要な人生の喜びについて語りたいと思う。
 それを探し出すことが人生最大の挑戦でもあるのだから。

photo:Ryan Moss


  20121221日、110フィートのチャーター船とともに私は南カリフォルニアの沖合100マイルのコルテツバンクにやってきた。そこには深海にそびえ立つ岩山がある。チームは私とシェーン・ドリアン、グラントツイギーベーカーそしてイアン・ウォルシュの4人のサーファーに加えて6台のジェットスキーによるレスュキューが参加していた。そのレスキューの6人はそれぞれのサーファーに各1台が帯同し,残りの2台は記録と援護という役割を担っていた。
 その日の午後、私は5本セットの波の二つ目の波をディープ過ぎる位置からドロップを試みた。波のボトムまでには到達したものの、波が私に襲いかかり深い海へと私を押し込めていった。この強い重力の危険性を十分に感じながらも、私は装着している救命スーツを利用してできるだけ早く海面に達しようと考えた。しかしそのスーツは作動しなかった。そのために私は長年やってきたように、十分にトレーニングを積んできた二つの肺と自信だけを頼りに心を落ち着かせて耐えることにした。その時間は長く過酷だった、しかも次の波が崩れる前に海面に出て息を吸えないことを認めなけらばならなかった。とにかく私はそのようなことを考えながらも海面に向って泳いだ。この状態で二つの波を海中でやり過ごすということは自分の人生を終わりにすることに等しかったが、私は懸命に海面を目指した。
 そして、ほんのあと数フィートで海面に出られるというところで、私は次の波のインパクトをもろに受けてしまった。その衝撃で私の肺にあったわずかな空気は吐き出されてしまい、さらに身体はショックで震え出した。肺に空気が全く無いということに私は絶望を感じた。私の身体はもだえ必死になって空気を吸いたいと暴れ出した。しかしまだ私は海の深いところに沈んでいた、なにがどうあろうと息を吸うことはできないのだと悟(さとる)しかなかったのだ。「私は大丈夫だ。きっと海面にたどり着くことができる」と思うことだけが唯一の選択でもあった。身体をリラックスさせようと懸命に務めると、呼吸をしたいという要求が一時的にではあるが少しは紛れることができ、次の波が私の頭上で崩れる音が聞こえても落ち着くことができた。

 ポジティブシンキングの力は強い。しかし体力には限界があり自然の摂理には逆らうことはできない。ぐずぐずしてはいられない、なんとしてでも私は海面に出て息を吸わなければならなかった。三度目の波で海のなかは激しく渦巻き、泳ぐことは不可能であったので、私はリーシュを頼りに登ろうとした。私は懸命にそのリーシュを握りしめて数インチずつ登っていったが、やっとサーフボードのテール部分に辿りついたものの、ボードは海面から10フィート下で留まったままだったのだ。
 痙攣と痺れと悶えが再び襲ってきた。脳の酸素が欠乏し疲弊しはじめ私はサーフボードをしっかりと握ることができなくなってきてしまった。そのため私はボードを離して気力を振り絞り海面に向って最後のストロークするとそのまま意識を失った。

 四本目の波が私をインサイドまで押して行き、そこで私は海面にうつむいたままで浮かんでいた。ボードは傍らで浮かんではいたがリーシュは壊れていた。似つかわしくない私がそこにあった。まるで墓石に化したかのような私のボードにレスキューが接近しようとしたが、波に阻まれて無駄に終わった。しかしついにDK.ウォルシュが果敢にジェットボードを捨てて飛び込むと、その死体のような私の身体を抱えて波に流されないように持ちこたえてくれた。次に続いてジョン・ワラとフランク・クイラーテが私の身体を待ち上げてスレッドに乗せ、サポート船へと運んだ。船に引き上げられるとスイムステップのところで私はすぐに意識を回復した。そして痙攣ともに咳をして多量の血液の泡を吐いた。チームは私に酸素を与え脊柱や外傷を受けていないか調べた。そしてコーストガードに通報し救助のヘリを要請した。

 コーストガードのヘリを待ちながら船上で横になっているとき、私は自分の人生を熟考した。「生命」は森羅万象とともに成り立っている。死に直面したとき人はこの世の中の真理に迫ることができる。私は私自身が誰であるか、その意義をそのとき知ることになった。だがそれはプロフェッショナル・ビッグウェーブサーファー、グレッグ・ロングとことを言っているのではない。コンテストの栄冠、XXLアワード、物質的な欲や栄光は私の心からは遥か遠くへと行ってしまっていた。
 その代わりに心に浮かんだものは生身の私自身への問いかけだった。私は周囲の人々に寛容と尊敬の念を忘れてはいなかっただろうか。私は人生における真の目的を持っていたのだろうか。私は世の中のための役割を全うしていただろうか。私は感謝の念を忘れてはいなかっただろうか。私はこの気狂いじみた行為をどれだけ自己評価できるだろうか。もしあのとき私が死んだら、私が大切に思っている友人や家族等は、彼らにとって私がどんな価値をもっていたかを考えてくれただろうか。
ジョーズでのグレッグ・ロング
photo:Heff


 5時間後、夜の大海原に私を載せた担架はヘリに宙づりにされ、100マイル先のサンディエゴの病院へと搬送された。さまざまなCTスキャンなどさまざまな診査がされた後に一晩だけ二次溺水の恐れがないかを診るために入院し、翌日には帰宅の許可が出た。

 私はその後、多くの人から質問をされた事があった。CPR(心肺機能蘇生)を受ける必要が無かったのは何故か、それとどうしてそんなに早く回復したのか。その答えには二つの要素からなりたっている。まず一つ目は、水中で私は呼吸できずにもだえ苦しんだがパニックには陥らなかった。無呼吸を耐えた後、喉頭けいれんが起こり、喉や顔の筋肉が作動して気道を閉じ、肺に水が進入するのを防いだ。これは哺乳類が生存するための本能で水難やブラックアウトのときにも起こる現象だ。この過程で身体に残った酸素は脳に運ばれ可能な限り生きながらえようとする。そして酸素が完全に欠乏すると筋肉は弛緩し身体は自然に呼吸を求めるようになる。この時点でも水中に留まっていると肺に水が進入することになる。二つ目の要素はその肺に水が進入する前にレスキューチームが私を海から救出したために救命処置は必要としなかったし、回復も早かった。(訳注、グレッグ・ロングは喉頭けいれんを自分の意思で起こして気道から肺に水が進入するのを防いだと考えられる。また意識は自力で回復したようだがその状況については言及してはいない、とにかくCPRは必要としなかった。また海中で意識を失うまでの過程で身体の生理的反応を克明に記憶している様子は彼がパニックに陥っていなかったことが判る)
グレッグ・ロング
photo;Taras


 数日後、私はマーベリクスのビッグウェーブセッションに参加した。そこで私は、私に対して驚異を感じている人々と顔を会わせることになった。さまざまな疑問が解決しないままでいたようだが、とにかく本誌が私に質問した内容はこうだ「瀕死の事故に遭ったばかりなのにどうしてビックウェーブに臨むことができるのか」私は簡潔に言葉を選んで答えた。ビックウェーブサーフィンは私の夢でありそのチャンスを何ものも阻むことはできないのだ。
 だが正直なところ、なぜパドルアウトしたのか私にもその理由がよく判らなかった。ビックウェーブをサーフするという至福に満ちた自分の夢が、悪夢に変わっていたのにだ。そのときのインタビューで私の精神状態は明白でかなりエゴがむき出していた。私はこう考えていたのだ。もし私が出場しなければ人々は私が衰えたと感じるのではないだろうか。私の気分はまるで友だちの見ている前で、自転車で糞を踏んでしまったかのような気分だったのだ。
 
 もしそうだとしたらどうすれば良いんだ?汚れを拭いて自転車に乗り続けるしかないじゃないか。その間、彼は傷つき惨めな思いだろう、恐れを感じていることも悟られたくはない。
 もう以前のように期待に胸を弾ませてビックウェーブに向ってストロークするなんてことはできなかった。最初のセッションですぐに確信できない脆弱な気持ちが露呈した。私は自信とセンスを失っていた。このセンチメンタルな心理状況は普段の生活にも影響を及ぼした。私は心のドアを閉じて襲いかかるさまざまな葛藤と格闘を始めたのだった。16年間に及ぶビックウェーブに全身全霊で掛けてきた私の「世界」は倒壊し私はその瓦礫の下にうずくまってしまったのだった。

 それでも私はそれから数ヶ月前進を続けた。できうる限りのビックウェーブセッションに全力で取り組んだ。以前のような気分でサーフすることがいずれ訪れるのではないかと期待していたのだ。マーベリクス、ジョーズ、プエルト、チリと全てのセッションは私自身の心との格闘だった。そして南アフリカでビックスウェルを追い続けていたときだった。そこでも私はラインナップに見失った自分の居場所を捜そうと懸命だった。だがそこで私はついに壁にぶちあった。フラストレーションで疲弊しきっていていた私の心がそこにあった。私はビックウェーブに乗ることに喜びを全く見いだせないことをついに悟ったのだった。

  私は人生で初めてビックウェーブサーフィンを意識的に避けるようにして旅に出た。ボードバックとカメラ、スウェルチャートを家に置き去りにしてペルーのアンデスへと向かい隠遁的な生活を始めた。私は日常から逃れて自分の人生を俯瞰で見つめ直すことにしたのだ。そして混乱する私の心からあるシンプルな答えを見つけることができた。その答えはいままで私があまり注意を傾けてこなかったことであった。あの船上で横たわりながらヘリを待っているときに感じていた気持ちと大変良く似ていた。
 つまり私はあの事故から、もう一度かつてのビッグウェーブサーファー、グレッグ・ロングに戻ろうとしていたのだった。それは誰もが夢を実現しようと努力するように、私もそうすることが正しいと思っていたのだ。だが現実の世界は違う、この世の全ての事象は常に変化を続けている、それは否定できない事実で、昨日まで感じていたことや抱いていた夢が今日は異なっているというのは普通のことなのだ。その変化は受け入れるしかない。過去の過ぎた夢にしがみつくか、それとも今現在の真の価値ある幸福を捉えようと努力するべきか、事故後に私が行なってきた挑戦は、私自身の本音を隠そうとしていたことに他ならない。
 今回の事故は私にとってトラウマ的体験であったしそう感じてきた。でもそれって瀕死の経験だったからそう思うのかな?でも実際のところ、事実は人の思い込みによって成形していくのだ。コルテツの1000リーグも深海のなかで私は堪え難い痛みと呼吸の渇望を放棄したことは人生を生き抜くときに抱くネガティブな思考や感情からも放棄したということと全く同様なのだ。

 だがそれをネガティブに捉えるのではなく学ぶ機会を得たと考えてみる。それによって私は精神的な重荷から開放されることができた。人生というゲームのなかで私たちは夢の実現を追求している。そして誰もがワイプアウトを経験し大丈夫だと自分に言い聞かせる。苦痛や悲しみを避けて通る道もあるが、何が起ころうともそれを受けいれるという選択もありそこから人生を学び知恵を得て賢明となり、洞察力、経験、人間としての成長を押し進める助けとなるのだ。
  自分自身の発見と黙考の旅で学んだことは、周囲の期待や批判に振り回されるなということだった。そのかわりに私は自分自身の真実の声に耳を傾けねばならないということを知った。
真実の叫びから遠く離れるか、その気持ちや感情を隠していたならば、私はさらに混乱に陥ってしまう。
 おそらく私は人々から質問されるだろう。「復活して、いままでのように続けるのだろうか」とだ。私はいままで自分自身のための挑戦としてビッグウェーブをサーフしてきたし、人生においても留まることなく挑戦を続けた。もう一度言おう、人生から学び成長することこそが真の挑戦なのだ。もしその経験から学びうるものがあったとしたら、プロフェッショナルとしてかそれともリクリエーションかということにこだわるのはどうでも良いことなのだ。
 人はそれぞれが違う道を選び歩み続け、絶え間ない経験によって、「私」が形成されていく。幸福を目標に努力し人とは違った道を歩み、その道すがらで人を助ける。個人的な喜び、夢、感情、献身。この気違いじみた人生を楽しみ、ライディング、ヘビーなワイプアウトと絶え間なく波から教えられ成長する。波こそが価値と美徳であり人生の教導者なのだ。


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