2015年3月23日月曜日

2015年は世界のサーファーにとって記念すべき年。

 というのも近代サーフィンの父、デューク・カハナモクが
サーフィンをオーストラリアに伝えて100年にあたるからです。
オーストラリアでは記念行事がいろいろ行なわれて
デュエイン・デソトがフレッシュウォーター海岸で
当時のようすを再現したデモを行なったようです。
from surfer magazine

さて、デューク・カハナモクって誰?
という人にちょっとご説明しましょう。
正確ではないかもしれませんがあしからず。
デュークはワイキキのビーチボーイで世界初のライフガードです。
デュークという名前は本名で、イギリスのエジンバラ公が
ハワイに来たときに授けられた由緒正しい名前。
(父親が譲られてデュークが受け継いだという説もある)
でもデュークって爵位で名前じゃあないよね??
まあいいか〜。

アメリカ代表としてオリンピックに2度出場し通算で
金メダル3個と銀メダル3個
(第一次世界大戦が無ければもっと取っていたでしょう)
もちろん当時の世界記録を何度も更新しています。
映画ターザンの主役ジョニーワイズミュラー
の師匠でもあります。

彼はハリウッドで映画俳優としても活躍。
昔の映画で南の島の酋長というと必ずといっていいほど
デュークが登場します。

さて水泳で世界的スーパースターとなったデュークは
水泳の試合で世界を周りその先々で波を発見すると
サーフィンをして普及活動に務めたのです。
オーストラリアでも彼は地元の木からボードをシェープし
それでサーフィンを行いました。
それが当時の新聞でニュースになり大騒ぎ!
そのときに海で見物していたクロードウエストという
少年にデュークはボードを譲り、のちにその少年が
オーストラリアの初代チャンピオンに!
その写真がじつはあるんです!
はいこれ!ボードを担いでいるのがデュークで
手前左がクロードウエスト。
ここからオーストラリアのサーフィンの歴史が
始まりました。






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